スポーツと平和の祭典
この項目では、イラクでのイベントについて説明しています。北朝鮮でのイベントについては「平和のための平壌国際体育・文化祝典」をご覧ください。 |
スポーツと平和の祭典(スポーツとへいわのさいてん)は、1990年12月2日と12月3日にイラクのバグダードで行われた新日本プロレス主催の興行。
経緯
湾岸戦争の危機が叫ばれていた1990年、イラクのサッダーム・フセイン大統領は、日本人を含む在留外国人を国外出国禁止とし、事実上人質とした。日本政府は外務省主導により人質解放交渉を行ってきたが遅々として進まなかった。
そんな状況下、人質解放を目指し当時国会議員であったアントニオ猪木が被害者家族等を率いてイラクのバグダードで、1990年12月2日と12月3日の2日間イベントを行った。猪木の趣旨に賛同した各国の選手、ミュージシャンたちも参加し、初日はアル・シャープ・スタジアムでサッカー、ナショナルシアターでコンサートが開かれ、2日目はサダム・アリーナにて長州力、マサ斎藤 vs. 馳浩、佐々木健介をメインとしたプロレス興行が開催された[1][注 1]。また、2日目の模様はワールドプロレスリングにて日本でも中継された。
この熱意が実り日本人人質36人、在留邦人5人が無事解放され、これを契機としてイラク政府は全人質を解放に踏み切った[2]。
エピソード
河内家菊水丸はこの祭典の日本の伝統音楽の部門を担当し、現地のイラク人や日本人の前で河内音頭を披露した[3]。
脚注
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注釈
- ^ メインイベント以外にもバッドニュース・アレンの試合など3試合が行われ、青柳政司のデモンストレーションなども行われた。