ダルキース

ダルキース

ダルキースを東側から俯瞰 地図
DALKEITH
郵便番号EH22
市外局番0131
欧州議会スコットランド
英国議会
  • ミッドロージアン
スコットランド議会
  • ミッドロージアン・ノース&マッセルバラ
場所一覧
イギリス
スコットランド
北緯55度53分45秒 西経3度03分30秒 / 北緯55.8958度 西経3.0583度 / 55.8958; -3.0583座標: 北緯55度53分45秒 西経3度03分30秒 / 北緯55.8958度 西経3.0583度 / 55.8958; -3.0583
ダルキース・パレス(英語版)
ハイ・ストリート

ダルキース英語: Dalkeith, [dælˈkθ] dal-KEETHスコットランド・ゲール語: Dail Cheith, [ˈt̪alˈçe])はイギリススコットランドミッドロージアンにある街である。エスク川(英語版)流域にあり[注 1]、北側には12世紀にダルキース城として築城され、バクルー公爵邸としての過去を持つダルキース・パレス(英語版)が存在する。2011年時点での人口は12,342人である[2]

ダルキースは中心部を含むダルキース本体、ヴィクトリア期のものを含む大きな家が多い東側のエスクバンク英語: Eskbank)、公営住宅を中心とした西側のウッドバーン英語: Woodburn)、ニューバトル修道院(英語版)が所在する集落である南側のニューバトル(英語版)英語: Newbattle)の4つの地区に分けられる[3][4]

ダルキースはミッドロージアンの行政の中心地である。また、フランスシャラント県コミューンであるジャルナック(英語版)姉妹都市となっている。

語源

Dalkeithカンブリア語に由来するとされており、ウェールズ語のddôl(草原、高原、谷)とcoed(森)と同根である[5]

歴史

ダルキースは14世紀のジャン・フロワサールの年代記に以下のように記されている[6]

この本の著者である私は、若いころスコットランド中を旅し、エディンバラから5リーグの距離にある、これから触れるジェームズ・ダグラス伯(英語版)[注 2]の父ウィリアム・ダグラス伯(英語版)[注 3]の邸宅である、土地ではダルキースと呼ばれている城に15日間滞在した。その時私は若く美しい子供であったジェームズ伯と彼の妹であるブランシュ嬢と出会った。

1650年には第3次イングランド内戦の一環としてオリバー・クロムウェル率いる軍勢がダルキース城を占領し、スコットランド駐留軍の司令官となったジョージ・マンクはダルキース城を拠点としてスコットランドを治めた[7]

17世紀のダルキースでは、幅の広いハイ・ストリートにおいて、スコットランド有数の規模のが開かれていた[要出典]

1831年にはエディンバラとを結ぶエディンバラ・アンド・ダルキース鉄道(英語版)が開業し、石炭をはじめとする鉱物や農産物が主に輸送された。また、1853年には当時のスコットランドで最大の屋内コーン・エクスチェンジ(英語版)穀物市場)が建設された[8]

ダルキースは1879年、ウィリアム・グラッドストンが再度の首相就任に向けたミッドロージアン・キャンペーンを開始する場所となった[要出典]

主要な建造物

「en:List of listed buildings in Dalkeith, Midlothian」も参照

セント・ニコラス・バクルー共同教会(英語版)(旧称: ダルキース教区教会)はハイ・ストリートにあるスコットランド国教会の教会で、ミラのニコラオスを記念している。初代ダルキースジェームズ・ダグラス(英語版)によって1404年に共同教会となった。身廊袖廊は1854年に行われた内部の大改修の際のものである。袖廊の奥(東側)の内陣は1590年以降使われておらず、廃墟化している。クワイヤには初代モートン伯爵ジェームズ・ダグラス(英語版)と妻のジョーアナ(英語版)(ジェームズ1世の娘)が埋葬されており、石像が置かれている。このほか、ダルキースには同じくスコットランド国教会のセント・ジョンズ・アンド・キングズ・パーク教会、スコットランド聖公会のセント・メアリ―ズ教会[9]カトリック教会セント・デイヴィッズ教会(英語版)がある。なお、セント・デイヴィッズ教会の建物は1854年竣工のA類指定建造物である[10]。また、モルモン教の集会所も存在する。

北端にあるダルキース・パレス(英語版)は12世紀築城のダルキース城の跡に、16世紀末に建てられた。現在の建物は18世紀初頭に建て替えられたものである。

ハイ・ストリートのトルブースは18世紀前半に役場トルブース(英語版))としての使用が開始され、建物の東半分が裁判所、西半分と地下が[注 4]となっていた。トルブースの前にはダルキース最後の公開絞首刑[注 5]が行われた場所が地面に記されている。

このほかの特筆すべき建造物としては墓地にある監視塔(1827年築)[12]や貯水塔、製鉄所(19世紀前半築)が挙げられる。

エスクバンクには継続教育カレッジであるエディンバラ・カレッジ(英語版)のミッドロージアン・キャンパスが所在する[13]。また、ダルキース北東端にはダルキース高校(英語版)セント・デイヴィッズ・ローマ・カトリック高校(英語版)が入居するダルキース・キャンパスがある。

ミッドロージアン・コミュニティ病院(英語版)はエスクバンクのすぐ西側、隣町のボニーリグ(英語版)の東端に位置している。

  • コーン・エクスチェンジ[注 6]
    コーン・エクスチェンジ[注 6]
  • セント・ニコラス・バクルー教会
    セント・ニコラス・バクルー教会
  • トルブース(英語版)(旧役場)
    トルブース(英語版)(旧役場
  • セント・メアリ―ズ教会
    セント・メアリ―ズ教会
  • 監視塔
    監視塔
  • 貯水塔
    貯水塔

出身人物

  • ロバート・スミス(英語版)(1722年 - 1777年)- 建築家
  • ロバート・エイトケン(英語版)(1734年 - 1802年)- 出版人 アメリカ初の英語の聖書を出版
  • ヘンリー・ダンダス(英語版)(1742年 - 1811年)- 政治家
  • ジョン・ケイ(英語版)(1742年 - 1826年)- 画家
  • デイヴィッド・マシェット(英語版)(1772年 - 1847年)- 金属技師
  • ロバート・ターンブル・マクファーソン(英語版)(1814年 - 1872年)- 写真家
  • ピーター・テイト(英語版)(1831年 - 1901年)- 数理物理学
  • ジョン・アンダーソン(英語版)(1882年 - 1958年)- 政治家 内務大臣、財務大臣
  • ジェームズ・スタッグ(英語版)(1900年 - 1975年)- 気象学
  • ボビー・スミス(英語版)(1953年 - 2010年)- サッカー選手
  • フィッシュ(1958年 - )- ロックシンガー
  • ダレン・フレッチャー(1984年 - )- サッカー選手 スコットランド代表

交通

ダルキースには2008年に付け替えが行われるまで、エディンバラとダーリントンジェドバラ経由で結ぶA68号線(英語版)が通っていた。現在のA68号線は東側のバイパスを通過しており、ダルキースを貫く旧道はA6106号線となっている[14]。ダルキースの中を通る主な道路としては他に南西のピーブルス(英語版)方面と北東のマッセルバラ(英語版)方面とをつなぐA6094号線と、エスクバンクと西のローンヘッド(英語版)方面とをつなぐA768号線があり、加えてエスクバンクの西端にはエディンバラとカーライルをつなぐ主要道路であるA7号線(英語版)が通っている。

エディンバラ・アンド・ダルキース鉄道を起源の一つとするウェイヴァリー・ルート(英語版)は1969年にビーチング・アックスの一環として廃止されたが、2015年9月6日、同線の一部がボーダーズ・レールウェイとして再開業し、エスクバンク駅(英語版)が設けられている。

ダルキースのバス路線の多くはロージアン・バスズ(英語版)によって運行されている。このほか、イースト・コースト・バスズ(英語版)ボーダーズ・バスズ(英語版)もダルキースに乗り入れている。

スポーツ

サッカー

ダルキース・シッスル F.C.(英語版)がダルキースを本拠地としている[15]。1892年設立であり、イースト・オブ・スコットランド・フットボールリーグ(英語版)に所属している。

ラグビー

ダルキースを本拠地とするラグビーチームにはイースト・リージョナル・リーグ(英語版)に所属するダルキースRFC(英語版)がある。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 中心部はダルキースの北約1 kmの地点で合流するサウス・エスク川とノース・エスク川の間に位置する。
  2. ^ 第2代ダグラス伯爵(英語版)
  3. ^ 初代ダグラス伯爵
  4. ^ 地下牢はブラック・ホールと呼ばれる。
  5. ^ 1827年に追剥ぎのウィリアム・トムソンに対して行われた[11]
  6. ^ 1853年築。デイヴィッド・カズン(英語版)設計。

出典

  1. ^ “Mid-2016 Population Estimates for Settlements and Localities in Scotland”. National Records of Scotland (2018年3月12日). 2020年12月30日閲覧。
  2. ^ “Dalkeith (Midlothian)”. 2014年3月3日閲覧。
  3. ^ “Dalkeith and Woodburn – Neighbourhood Profile”. Government of the United Kingdom. 2020年1月15日閲覧。
  4. ^ “Eskbank and Newbattle – Neighbourhood Profile”. Government of the United Kingdom. 2020年1月15日閲覧。
  5. ^ Bethany Fox, 'The P-Celtic Place-Names of North-East England and South-East Scotland', The Heroic Age, 10 (2007), http://www.heroicage.org/issues/10/fox.html (appendix at http://www.heroicage.org/issues/10/fox-appendix.html).
  6. ^ Froissart, Jean (1978) (英語 (原文はフランス語)). Chronicles of England France, Spain, etc.. Penguin Classics. ISBN 0-14-044200-6. "I, author of this book, in my youth had ridden nigh over all the realm of Scotland, and I was then fifteen days in the house of earl William Douglas, father to the same earl James, of whom I spake of now, in a castle of five leagues from Edinburgh which is called in the country Dalkeith. The same time I saw there this earl James, a fair young child, and a sister of his called the lady Blanche." 
  7. ^ “The History of Dalkeith House and Estate” (PDF). 2011年12月13日閲覧。
  8. ^ “.... Corn Exchange Dalkeith”. 2011年12月13日閲覧。
  9. ^ “St Mary's, Dalkeith – – the church in the park”. 2016年3月4日閲覧。
  10. ^ St David's Dalkeith from Scotland's Churches Trust retrieved 14 March 2014
  11. ^ “British Executions - William Thomson - 1827” (英語). British Executions. 2020年8月7日閲覧。
  12. ^ “Dalkeith, Old Edinburgh Road, New Burial Ground, Watch Tower”. 2014年1月16日閲覧。
  13. ^ Our Campuses: Midlothian, Edinburgh College
  14. ^ “All – Projects – Transport Scotland”. 2009年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月25日閲覧。
  15. ^ Home, Dalkeith Thistle FC
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