坂本昌仁

坂本 昌仁(さかもと まさひと、1933年12月29日 - )は、元競輪選手日本競輪選手会大阪支部を経て、同会兵庫支部に在籍。日本競輪学校第5期生。同期には加藤晶らがいる。

来歴

1956年日本選手権競輪後楽園競輪場)及び全国都道府県選抜競輪神戸競輪場)を優勝。この当時、後に『競輪の神様』と称されることになる、松本勝明京都)の一番のライバルとして君臨した。しかし、とある年の大宮競輪場での競走中に落車し、ゴールの写真判定塔に激突して瀕死の重傷を負った一件が災いし、まもなくトップクラスの座から転落した。その後、再起不能とさえ言われながらもレースに復帰し、1984年6月11日に選手登録削除されるまで、通算728勝を挙げた。

なお、名前の『昌仁』を「まさひと」と呼んだ、当人の現役時代を知るファン、マスコミはほとんどおらず、通常、「しょうじん(あるいは、しょうじ)」と呼ばれていた。

関連項目

外部リンク

  • 内外タイムス2008年12月09日付記事


1940年代
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1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
実用車優勝者
女子優勝者
  • 1949・第2回-1950・第3回 高木ミナエ
  • 1951・第4回 黒田智子
  • 1951・第5回 渋谷小夜子
  • 1952・第6回 田中和子
  • 1952・第7回 水野信子
  • 1953・第8回 有江美和子
  • 1954・第9回-1955・第10回 田中和子
  • 1956・第11回 畑田美千代