小沢久太郎

小沢 久太郎
おざわ きゅうたろう
生年月日 (1900-12-19) 1900年12月19日
出生地 東京府東京市芝区愛宕下町[1]
没年月日 (1967-09-18) 1967年9月18日(66歳没)
死没地 静岡県熱海市
出身校 東京帝国大学工学部
所属政党 (自由党→)
自由民主党
称号 従三位
勲二等旭日重光章
工学博士(1961年)

日本の旗 第19代 郵政大臣
内閣 第2次池田内閣
在任期間 1963年1月8日 - 1963年7月18日

選挙区 全国区千葉県選挙区
当選回数 3
在任期間 1953年5月3日 - 1967年9月18日
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小沢 久太郎(小澤 久太郎[2]、おざわ きゅうたろう、1900年12月19日 - 1967年9月18日)は、昭和期の日本の内務官僚政治家参議院議員(3期)、郵政大臣(第19代)。

来歴・人物

千葉県市原郡加茂村(現在の市原市)出身(出生地は東京府東京市芝区愛宕下町[1])。第一高等学校を経て、1927年東京帝国大学工学部土木工学科を卒業、内務省に入り、土木畑を歩む。特別調達庁促進局次長・近畿地方建設局長・経済安定本部建設交通局長、経済審議庁審議官などを歴任した。

1953年第3回参議院議員通常選挙に於いて自由党公認候補として全国区に立候補して初当選、保守合同以後は自由民主党に属する。

1959年第5回参議院議員通常選挙以後は、郷里のある千葉県選挙区に移り2度の当選を果たし、参議院議員としては通算3回当選した。参議院議院運営委員長、建設政務次官(第1次岸内閣)、自民党副幹事長などを歴任後、第2次池田内閣で郵政大臣を務めた。1961年には「道路橋工学論」で工学博士を授与された。その後、自由民主党千葉県連会長を務めたが、1967年9月18日に病気のため療養先である静岡県熱海市熱海国立病院で死去[1]。66歳没。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈(勲六等からの昇叙)、従五位から従三位に叙される[2]

脚注

  1. ^ a b c 第57回国会 参議院 本会議 第1号 昭和42年12月4日
  2. ^ a b 『官報』第12231号18-19頁 昭和42年9月21日号

参考文献

  • 榎本時雄「小沢久太郎」『千葉大百科事典』(千葉日報社、1982年)
  • 大谷博愛「小沢久太郎」『日本人名大事典 7』(平凡社、1979年)
公職
先代
手島栄
日本の旗 郵政大臣
第19代:1963年
次代
古池信三
議会
先代
宮澤喜一
日本の旗 参議院議院運営委員長
1962年
次代
田中茂穂
日本の旗 郵政大臣 (1963年)
中央省庁等改革
郵政大臣
自治大臣
地方財政委員会委員長
地方自治庁長官
自治庁長官
自治大臣
総務庁長官
総務大臣
2001年(平成13年)1月6日、郵政大臣自治大臣総務庁長官が統合され、総務大臣が置かれた。
日本の旗 参議院議院運営委員長 (1962年)
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
定数3
第22回
第24回
第26回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
定数3
第21回
第23回
第25回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。
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