瀬木 三雄(せぎ みつお、1908年3月3日 - 1982年5月8日)は日本の医学博士。
愛知県名古屋市生まれ。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)第14回生。東京帝国大学医学部卒業。旧厚生省の初代母子衛生課長として母子健康手帳を創設し[1]、東北大学医学部にて公衆衛生学教室を主宰[2]。癌統計学の第一人者として知られ、いわゆる「瀬木の帽子」(胎児の基底顆粒細胞集団)の発見者でもある。1971年に退官。瀬木学園(現 愛知みずほ大学等)理事長、学長、高校長を歴任。