王位請求者 (おういせいきゅうしゃ)は、王位 を現実行動として要求する者、もしくは理論上の王位継承順位の筆頭 にある者のこと。請求対象が皇帝位 である帝位請求者 など、「王位」以外の君主 の座を請求する者も本記事で扱う。歴史的な正統性・貴種性を有する者のみならず、高貴な血統を詐称 することで玉座を狙う者や、逆に歴史や血統などによらない者も含まれうる。
概要 共和国 において過去に廃止された君主制 の復活(王政復古 )を求める様式と、一般的に正統とされる在位中の君主に取って代わろうとする下剋上 志向の様式の2つに大別できる。
英語ではpretender (詐欺師、僭称者)の語句を用いることが一般的である[注釈 1] 。これに対し、イギリスに拠点を置く国際君主主義者連盟(英語版) 代表のニコライ・トルストイ伯爵(英語版) は、中立的用語でないとしてclaimant(主張者、請求者)やheir(相続人、継承者)の語句が望ましいとしている[1] 。
実際に君主制の復活を求める者に限らず、世が世なら玉座に即いていたであろう旧君主家の当主は、その全てが請求者に挙げられる。現在、請求者とされる人物には、一般人として生活している者も多いが、中には君主制の復活を求めて亡命政府 や政治団体などを組織して活動している者もいる。(請求者とされる人物の意思にかかわらず)彼らを奉じて君主制を再導入しようとする君主主義組織・政治団体も各国に存在する[注釈 2] 。
キリスト教 の歴史において時として存在した対立教皇 についても、同じように教皇位 の請求者とみなすことができる。
出現要因 イングランド およびスコットランド の正統な王としてジャコバイト に支持された「老僭王 」ことジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート 。 スペイン・ブルボン朝の正統 として「国王カルロス5世 」を称したモリナ伯カルロス 。 ポルトガル王ミゲル1世とその子孫は、絶対王政派のミゲリスタ(英語版) に支持された。 サウル に代わるイスラエル王として血統に関係なく神 に選ばれ、サムエル に塗油されるダビデ (旧約聖書 ) 王位請求者が現れる理由としては、主として次のような場合が考えられる。
君主国において、それまでの王統・皇統の断絶に際して、旧王朝と血縁関係や姻戚関係にある者が請求する事例 例1:アンジュー公フィリップ スペイン・ハプスブルク家 の男系男子断絶に際して、フランス・ブルボン家 の王子 ながらスペイン・ハプスブルク家の血を色濃く引いていたことからスペイン国王候補となり、紆余曲折はあれど最終的に「スペイン王フェリペ5世」として認められた(スペイン継承戦争 を参照)。 例2:バイエルン選帝侯カール・アルブレヒト オーストリア・ハプスブルク家 の男系男子が断絶した際に、妻がハプスブルク家出身であることを理由として神聖ローマ皇帝位 やボヘミア王位 を要求した(オーストリア継承戦争 を参照)。 この場合、落胤 を称したり生存説を唱えたりする、実際の貴種性が疑わしい請求者が出現することもままある。具体例として、リューリク朝 の断絶後に皇位僭称者が次々と現れた動乱時代 のロシアが挙げられよう。 簒奪や宮廷クーデター、革命による旧王朝もしくは君主制の廃絶や、他国の支配により国自体が滅ぼされるなどして廃位された君主本人やその子孫などが請求する事例 例1:イングランド王ジェームズ2世 議会 によって廃位されて国外追放となってからも、玉座を諦めずにイングランド王を称し続けた(ジャコバイト を参照)。 例2:フランス皇帝ナポレオン3世 フランス皇帝 として正式に即位するまでは、ナポレオン1世 の一族としてフランス帝位請求者であった。第三共和政 の樹立とともに廃位されて以降は、また帝位請求者となった。 この場合、実際の貴種性が疑わしい請求者が出現することもままある。フランス革命 後のヨーロッパでは、革命の犠牲となったルイ王太子(ルイ17世) であると自称する男が100人以上も現れた[2] 。類例として、太平洋戦争 後の日本において林立した自称天皇たち(その多くが、両統迭立 の約束を反故にされたあげく北朝に皇位を「簒奪」された後南朝 の後裔を称した)が挙げられる。 伝統的継承法の変更により継嗣の座を奪われた元相続人が、これを認めずに自らの歴史的正統性を主張する事例 例1:モリナ伯カルロス スペイン国王フェルナンド7世の王太弟だったが、王位継承法の変更により女王が認められたため、相続人の座を姪イサベルに奪われた。これを不服として、兄王の崩御後に正当な国王「カルロス5世」であることを宣言した(カルリスタ戦争 を参照)。 継承権を放棄したはずの者やその子孫が、放棄宣言をのちに撤回して自らの正統性を主張する事例 例1:ペドロ・デ・アルカンタラ・デ・オルレアンス・エ・ブラガンサ ブラジル皇族。名目上の女帝イザベル・ド・ブラジル の長男だったが、貴賤結婚 のために皇位継承権を放棄した。母はペドロに代わってその弟 を継承者としたが、のちにペドロは継承権を放棄していないと主張し、ブラジル帝室の(ペトロポリス系とヴァソウラス系への)分裂を招いた。 例2:アルフォンソ・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス 父である両シチリア王子カルロ・タンクレーディ は、1900年12月14日に自身と子孫の両シチリア王位継承権を放棄した(⇒カンヌ証書(イタリア語版) )。これはスペイン王女 との結婚に際しての放棄であり、カルロ・タンクレーディは代わりにスペイン王子の称号を獲得している。しかし、のちにその子孫が両シチリア王家の嫡流となった。アルフォンソは国事詔書 級の事態であるとして家督を主張し、両シチリア王家の分裂を引き起こした。(⇒カラブリア系とカストロ系) 継承権を持ちながらも順位が低い者、継承権を持たない庶子、高貴な血統とは無関係な一般人などが請求する事例 例1:ポルトガル王ミゲル1世 自由主義者(立憲主義者)に支持される姪・女王マリア2世を認めず、絶対王政 の復活を掲げ、ポルトガル内戦 を引き起こした(ミゲリスタ(英語版) を参照)。 例2:ヨーゼフ・アウグスト・フォン・エスターライヒ ハプスブルク=ロートリンゲン家 の中でも継承順位の低い皇族であったが、ハンガリーに深く根を下ろしていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国 崩壊後に誕生したハンガリー王国において、存命だった最後のハンガリー国王カーロイ4世などを差し置いて新たなハンガリー国王に擁立された。 聖キリルは、『旧約聖書 』の中でサウル との血縁関係を持たないダビデ がイスラエル王になっていることを根拠に、神による選択は正当性の根拠として血縁関係よりも優位にあるとした。 現在の王位請求者の一覧 「王位請求者の一覧(英語版) 」も参照
アジア インド諸邦 国名 名前 肖像・紋章等 説明 アルワル藩王国(英語版) ジテンドラ・シン(英語版) インド国民会議 の政治家として活動している。 ヴァドーダラー王国 (英語版) Maharaja Samarjitsinhrao Gaekwad ヴァドーダラー王家当主。 カッチ王国(英語版) en:Pragmulji III カッチ王家当主。 コーター王国(英語版) ブライライ・シン(英語版) 最期のマハーラーオであるビム・シン2世(英語版) の息子。 シッキム王国 ワンチュク・ナムゲル 最後のシッキム国王パルデン・トンドゥプ・ナムゲル の王子。祖国シッキムがインドに併合された後、第13代シッキム国王を称して戴冠したが、現在は僧侶として静かに過ごしているとされる。 ジャイプル藩王国 パドマナーバ・シン(英語版) 最後の藩王バワニ・シン(英語版) の女系の孫。 ジャンムー・カシュミール藩王国 カラン・シング 最後の藩王ハリ・シング の息子。 ドゥーンガルプル王国(英語版) Mahipal Singh II, Maharawal of Dungarpur (born 1931) ドゥーンガルプル王家当主。 ドールプル藩王国(英語版) ドゥシャント・シン(英語版) 最後の藩王ヘマント・シンの息子。 トラヴァンコール王国 ムラム・ティルナル・ラーマ・ヴェルマ(英語版) トラヴァンコール王家当主。 ニザーム王国 ムカラム・ジャー(英語版) ニザーム王家当主。王太子アーザム・ジャー の息子。 バラトプル王国 ヴィシュヴェンドラ・シング(英語版) バラトプル王家当主。 マイソール王国 en:Yaduveer Krishnadatta Chamaraja Wadiyar マイソール王家当主。 マールワール王国 ガジ・シング(英語版) マールワール王家当主。 ムガル帝国 ミールザー・グラーム・モイーヌッディーン・ムハンマド・ジェイブド・ジャー・バハードゥル(英語版) 1931年にインド政府によってムガル朝(ティムール朝)の当主として認められた[要出典 ] Muhammad Khair ud-din Mirza, Khurshid Jah Bahadurの息子。 メーワール王国 マヘンドラ・シング・メーワール(英語版) メーワール王家当主を称する。国際的な報道では、正当な当主として言及されることが多い。 メーワール王国 アルヴィンド・シング・メーワール(英語版) メーワール王家当主を称する。マヘンドラの弟。ウダイプル の旧貴族の間では正当な当主として認識されている。 ラームプル藩王国(英語版) Sayyid Muhammad Kazim Ali Khan, Nawab of Rampur ラームプル藩王家当主。 ラジピプラ王国(英語版) Raghubirsinhji, Maharaja of Rajpipla ラジピプラ王家当主。息子は「インドで最も有名なゲイ」とされるマンヴェンドラ・シン・ゴーヒル 。
アフリカ ヨーロッパ 国名 名前 肖像・紋章等 説明 アルバニア王国 レカ・ゾグ アルバニア国王ゾグ1世 の孫で、アルバニア王家の家長。王制支持者からは「レカ2世(Leka II )」と呼ばれている。 カルトリ・カヘティ王国 ダヴィッド・バグラチオン・ムフラニ カルトリ・カヘティ王国がロシア帝国に併合された後、王家であるバグラティオニ家(英語版) はロシア貴族として扱われた。ダヴィッドはバグラティオニ家の分家(=第2王統)であるムフラニ家(英語版) の当主。ロシア革命 を受けてムフラニ家はイタリアに亡命したが、宗家(=第1王統)はソビエト連邦 に留まり、やがて消息不明になった。ダヴィッドの祖父イラクリ・バグラチオン・ムフラニ(英語版) は、ロシア革命後にロシア皇族・貴族が大量に処刑されたことから、宗家も根絶やしにされたと判断し、ムフラニ家が当主になったと宣言した。 カルトリ・カヘティ王国 ヌグザル・バグラチオン・グルジンスキ(英語版) バグラティオニ家(英語版) の宗家(=第1王統)にあたるグルジンスキ家(英語版) の当主。グルジンスキ家は共産主義政権のもとで断絶したと考えられていたが、ソビエト連邦の崩壊 後になって存続していたことが判明し、分家・ムフラニ家(=第2王統)との競合状態になった。ヌグザルは娘のアンナ・バグラチオン・グルジンスキ(英語版) をムフラニ家の当主ダヴィッドと結婚させた。両王統の合同が期待されていたが、ダヴィッドとアンナ夫妻は2013年に離婚した。 ギリシャ王国 パウロス・ティス・エラザス 1974年の国民投票で廃位された最後のギリシャ国王コンスタンティノス2世の長男で、元王太子。 セルビア王国 ユーゴスラビア王国 アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ ユーゴスラビア王国 最後の国王であるペータル2世の息子で、元王太子。「セルビア王太子アレクサンダル2世 」を称する。 ナバラ王国 ペドロ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス カラブリア系のブルボン=シチリア家 の家長で、カラブリア公およびカゼルタ伯を名乗る。「ペドロ2世 」。祖母のアリシア・デ・ボルボン=パルマ が伝統的な親族間の男系優先の長子相続 に基づくナバラ王位の請求者であることが、カラブリア系ブルボン=シチリア家の公式ホームページ[5] において言及されていた。 ナバラ王国 ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン ブラン・デスパーニュ(英語版) と呼ばれる現在のフランスおよびナバラ王位請求者。ルイ13世以降のナバラ王位のフランス王位への統合にともなう、サリカ法 による相続に基づく。公称「ルイス9世 」。 ブルガリア王国 シメオン2世 ブルガリア最後の国王。1943年に6歳で即位したが、1946年の国民投票により王制が廃止され、母后とともに亡命した。のちに「シメオン・サクスコブルクゴツキ」としてブルガリアの首相 に就任した。 ポルトガル王国 ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサ ブラガンサ家 の家長。ポルトガル内戦 で廃されたミゲル1世の曾孫で、最後の国王マヌエル2世から後継指名されたドゥアルテ・ヌノ の長男。「ブラガンサ公(英語版) 」を名乗る。大部分の王党派は彼を正当な王位請求者として認めている。 ポルトガル王国 D. Pedro Folque de Mendoça Rolim de Moura Barreto, 6º duque de Loulé ポルトガルの貴族ローレ公爵家(ポルトガル語版) の当主。 ミゲル1世の妹アナ・デ・ジェズス・マリア・デ・ブラガンサ の子孫。この系統の支持者は、ミゲル1世はポルトガル王位に関する全ての権利を放棄したため、その子孫であるドゥアルテ・ヌノの系統には王位請求者たる資格がないとみなす。最後の国王マヌエル2世がドゥアルテ・ヌノを後継に定めているため、この主張はあまり支持を得られていない。 モンテネグロ王国 ニコラ・ペトロヴィチ=ニェゴシュ モンテネグロ王ニコラ1世の嫡曾孫で、モンテネグロ王家の家長。「モンテネグロ王太子」を称しており、王党派からは「ニコラ2世(Никола II) 」と呼ばれている。ペトロヴィチ=ニェゴシュ王朝の子孫の地位に関する法律(英語版) により、大統領と同額の手当が支給されている。 リトアニア王国 ウラッハ公ヴィルヘルム・アルベルト 1918年にリトアニア王国の王に選出されたミンダウガス2世 の孫。ウラッハ家 当主であり、理論上はリトアニア王位継承権の筆頭保持者であると考えられる。 リトアニア王国 イニゴ・フォン・ウラッハ 1918年にリトアニア王国の王に選出されたミンダウガス2世 の孫。ヴィルヘルム・アルベルトの弟。リトアニア愛国者であり、君主主義者たちによって兄を差し置いて国王候補として推戴された[6] 。
イタリア諸邦 スペイン ドイツ諸邦 ドイツ語圏の君主主義(ドイツ語版) も参照。 ハプスブルク君主国 フィンランド また、歴代ロシア皇帝はアレクサンドル1世からニコライ2世に至るまで5代にわたってフィンランド大公国 の君主として「フィンランド大公 」の称号を有していたことから、現在のロマノフ家 当主もフィンランド大公位請求者と考えることができる。
フランス 国名 名前 肖像・紋章等 説明 フランス王国 ルイ・アルフォンス・ド・ブルボン [注釈 3] ルイ14世の孫の一人、フランス王子 フィリップが「フェリペ5世」として即位したことに始まるスペイン・ブルボン朝 の一族。スペイン・ブルボン家は最も正統王朝に血統の近い家系であるため、「フランス・ブルボン家最後の男系男子シャンボール伯アンリ の死後、フランス王位継承権はスペイン・ブルボン家に渡った」と主張するレジティミスト によって、国王「ルイ20世 」として推戴される。ただし、スペイン・ブルボン家はユトレヒト条約 に従えばフランス王位継承権を放棄していることが明白であるため、ヨーロッパ王侯からの支持はほとんど得られていない。 フランス王国 ( フランス王国 ) ジャン・ドルレアン ルイ14世の弟・オルレアン公フィリップ1世を祖とするオルレアン家 の家長。連合派(伝統的なオルレアニスト に加えて、いまやオルレアン家が王冠相続人になったと考えるレジティミスト)によって、国王「ジャン4世 」として推戴される。ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサ によると「オルレアン家がフランス王家であると全てのヨーロッパ王侯が認めている[13] 」とのことだが、ルイ16世の処刑に賛成票を投じたオルレアン公ルイ・フィリップ2世や正統主義者にとっては王位簒奪者であるルイ=フィリップ王の子孫でもあるため、王党派の間にはオルレアン家への嫌悪感も根強い[14] 。 フランス帝国 ジャン=クリストフ・ナポレオン ボナパルト家 の当主。皇帝ナポレオン1世 の弟ジェローム・ボナパルト の子孫。「ナポレオン6世」として知られた祖父ルイ・ナポレオンの遺言により、離婚歴と政治活動が問題視された父シャルル・ナポレオン を飛ばして、ボナパルティスト の帝位請求者「ナポレオン7世 」となった。 フランス帝国 シャルル・ボナパルト 「ナポレオン6世」ことルイ・ナポレオンの息子。離婚歴と政治活動が理由とされて、ボナパルト家の家督相続権を剥奪されたが、正当なボナパルト家 当主「ナポレオン7世 」であることを主張する。ただし、2012年を境に「シャルル・ナポレオン」から「シャルル・ボナパルト」に呼び名を改めたため、「ナポレオン親王(ナポレオン公とも)」の名を持つ当主の役割を息子ジャン・クリストフに譲ったとも考えられる。 フランス王国 バルタザール4世・ド・ブルボン 「ブルボン・ボパール家 」を称する、インドの旧貴族。先祖はインドに土着化したブルボン家の王族だとする。スペイン・ブルボン家はスペイン王位を継承するにあたってフランス王位継承権を放棄したと解釈し、かつオルレアン家に反発する一部レジティミストから支持されるが、ブルボン家の子孫であると科学的に証明されているわけではない。(インドのブルボン家 参照) フランス王国 シャルル・ルイ・ド・ブルボン(フランス語版) 偽ルイ17世ことカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフ(英語版) の子孫(ナウンドルフ家(フランス語版) 参照)で、「シャルル13世 」を称する。ナウンドルフはミトコンドリアDNA 調査でルイ17世とは別人であるとの結果が出ているが、一方でナウンドルフの男系玄孫であるユーグ・ド・ブルボン(フランス語版) とブルボン家一族の男性3名のY遺伝子が酷似しているという調査結果も出ている[17] 。ただし多くの科学者は信頼性に疑問を呈している。
この他のフランス王位請求者として、イングランド王位請求者とされる人々を挙げることができる。 詳細は「王位請求者#ブリテン諸島」および「英国のフランス王位請求(英語版) 」を参照
ブリテン諸島 上記の人物は、いずれも理論上はフランス王位請求者を兼ねる。百年戦争 の時代から何世紀にもわたって、歴代イングランド国王は「フランス国王」の称号を主張してきた。合同法にもとづきグレートブリテン及びアイルランド連合王国 が成立した1801年に至り、フランス王号は公式に放棄されたが、これはあくまで現在のイギリス王室 の話である。彼らは、いずれもフランス王位を放棄する前のイングランド玉座の継承者であるため、依然としてフランス王位請求者であると解せられる。
詳細は「英国のフランス王位請求(英語版) 」を参照
ポーランド 国名 名前 肖像・紋章等 説明 ポーランド・リトアニア共和国 アレクサンダー・フォン・ザクセン=ゲッサフェ(英語版) ザクセン王家の家長を称する一人。ポーランド・リトアニア最後の国王スタニスワフ2世アウグスト 治世下に制定された5月3日憲法 によれば、ポーランド・リトアニア王位はザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト(のちのザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世)の子孫に世襲されることになっていた。 ポーランド・リトアニア共和国 ダニエル・フォン・ザクセン(英語版) ザクセン王家の家長を称する一人。
この他にも、1815年のポーランド立憲王国 の成立以来、歴代ロシア皇帝は最後のニコライ2世に至るまでポーランド王の称号を有していたことから、現在のロマノフ家 当主もポーランド王位請求者と考えることができる。
ルーマニア 国名 名前 肖像・紋章等 説明 ルーマニア王国 マルガレータ・ア・ロムニエイ 最後のルーマニア国王ミハイ1世の長女。ルーマニア王室(ルーマニア語版) の家長として「ルーマニア王冠の守護者 」の称号と「陛下 」の敬称を用いる。 ルーマニア王国 パウル=フィリップ・ホーエンツォレルン(ルーマニア語版) ルーマニア国王カロル2世の庶流の孫。叔父ミハイ1世の系統をルーマニア王家の正統として認めず、自身がルーマニア王室の家長であると主張する。 ルーマニア王国 カール・フリードリヒ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン(英語版) ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯爵家の当主。ルーマニア王家の本家筋にあたり、女子であるマルガレータ・ア・ロムニエイによる継承を認めない一部王党派から支持される。ただし本人はルーマニア王位には興味がないと答えている。
ロシア 北アメリカ 南アメリカ オセアニア 国名 名前 肖像・紋章等 説明 タヒチ王国(英語版) レオポルド・ポマレ 19世紀のタヒチ島 に君臨していたポマレ王朝 の末裔。タヒチ王家の嫡流であったが、17歳でフランスに渡り、そのまま一度もタヒチに戻っていない。 タヒチ王国(英語版) ジョアンヴィル・ポマレ(フランス語版) 19世紀のタヒチ島 に君臨していたポマレ王朝 の末裔。女王ポマレ4世 の子孫で、2009年5月28日に「タヒチと島々の王 (roi de Tahiti et des îles)」を宣言した。「ポマレ11世 」を称する[19] 。2009年9月9日に戴冠式を計画したが、一族の中にはレオポルドこそが正統であるとしてジョアンヴィルの王位請求に反対する者もいる。王冠の継承権に関する論争はあるが、多くのタヒチ人によってジョアンヴィルが正当な相続人であると考えられている[19] 。 ハワイ王国 クエンティン・クヒオ・カワナナコア(英語版) カラカウア朝(英語版) 断絶により王位継承権を承継したカワナナコア家(英語版) 家長。 ハワイ王国 オワナ・サラザール(英語版) ハワイ王室当主の一人とされる。
脚注 [脚注の使い方 ]
注釈 ^ このニュアンスで日本語訳すれば「王位僭称 者(おういせんしょうしゃ)」、「王位覬覦者(おういきゆしゃ)」といった表現になる。 ^ オーストリアのシュヴァルツ=ゲルベ・アリアンツ 、ポーランドの保守王党派クラブ 、チェコのコルナ・チェスカ など。 ^ スペイン王位請求者 のルイス・アルフォンソ・デ・ボルボンと同一人物。フランス語名での表記。 ^ ジャコバイトは百年戦争期 (1337年 - 1453年)からずっとイングランド王がフランス王位継承者たることを主張しているため、ヴァロワ朝 のフランソワ1世(在位:1515年 - 1547年)とフランソワ2世(在位:1559年 - 1560年)を当然フランス王として認めておらず、したがって「フランソワ」という名のフランス王は「フランソワ1世」ことモデナ公フランチェスコ5世に続いて彼が2人目ということになる。 出典 ^ マイケル・ジョゼフ・グロス(英語版) (2018年4月27日). ““There’s Nothing Wrong with Falling from Grace”: The Global Network of Monarchists Helping Deposed Kings and Queens”. ヴァニティ・フェア . https://www.vanityfair.com/style/2018/04/global-network-of-monarchists 2019年12月9日 閲覧。 ^ Hadley Meares (2018年11月30日). “Why 100 Imposters Claimed to Be Marie Antoinette’s Dead Son”. ヒストリーチャンネル . https://www.history.com/news/louis-xvii-death-marie-antoinette-french-revolution 2020年1月10日 閲覧。 ^ “Californian techie becomes Korean crown prince in fairytale twist”. デイリー・テレグラフ . (2018年12月29日). https://www.telegraph.co.uk/news/2018/12/29/californian-techie-becomes-korean-crown-prince-fairytale-twist/ 2019年1月14日 閲覧。 ^ http://www.borbone-due-sicilie.org/english/genealogy.html ^ “Jo šviesybė princas Inigo von Urachas, Uracho kunigaikštis, Württembergo grafas ir paskutinio Lietuvos karaliaus – Mindaugo II – anūkas, yra legitimus pretendentas į Lietuvos sostą.”. Delfi(リトアニア語版) . (2013年5月19日). https://www.delfi.lt/archive/mindaugo-ii-anukas-jei-lietuviai-panores-atgaivinti-monarchija-esu-pasirenges-priimti-sia-garbe.d?id=61409369 2020年1月10日 閲覧。 ^ Mensaje al Pueblo Carlista de S.M.C. Don Carlos Javier I de Borbón, Rey de Las Españas – blogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish) ^ a b El primogénito de Carlos Hugo de Borbón – Nuevo pretendiente carlista a la corona de España – website news agency Europa Press (Spanish) ^ “Rencontre avec le prince Pierre Murat”. ウエスト・フランス(フランス語版) . (2017年7月8日). https://www.ouest-france.fr/pays-de-la-loire/la-baule-44500/rencontre-avec-le-prince-pierre-murat-5121801 2019年3月9日 閲覧。 ^ MENSAJE AL PUEBLO CARLISTA DE S.M.C. DON CARLOS JAVIER I DE BORBÓN, REY DE LAS ESPAÑAS – blogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish) ^ “"Eres nuestro rey": por qué los ultras aclaman a Luis Alfonso en plena crisis en Zarzuela”. EL ESPAÑOL. (2018年7月17日). https://www.elespanol.com/reportajes/20180717/ultras-aclaman-luis-alfonso-plena-crisis-zarzuela/322968775_0.html 2018年10月22日 閲覧。 ^ Marcus Stoimaier (2017年1月11日). “Die Kassen klingeln! So lebt Österreichs Adel”. weekend.at. http://www.weekend.at/entertainment/oesterreich-adel/41.702.723 2020年1月8日 閲覧。 ^ “Dom Duarte de Bragance : « La République est très démocratique, mais a déjà mis le pays en banqueroute par deux fois ! »”. L'Incorrect. (2019年1月28日). https://lincorrect.org/entretien-avec-dom-duarte-de-bragance/ 2019年2月21日 閲覧。 ^ “仏旧王族のオルレアン家当主が死去、葬儀に各国王族が参列”. フランス通信社 . (2019年2月3日). https://www.afpbb.com/articles/-/3209492 2019年2月24日 閲覧。 ^ http://www.ijsciences.com/pub/pdf/V320140219.pdf. ^ “Mitos y presuntos herederos a un inexistente torno de México”. La Crónica de Hoy(英語版) . (2015年7月2日). http://www.cronicajalisco.com/notas/2015/46486.html 2019年11月9日 閲覧。 ^ a b “Real Tahitian royal is modest man more at home wearing just shorts and T-shirt”. クーリエ・メイル . (2011年12月15日). https://www.couriermail.com.au/news/queensland/real-tahitian-royal-is-modest-man-more-at-home-wearing-just-shorts-and-t-shirt/news-story/4709c589bf73eaee8c115145065e9715?sv=cd725f1afc338a5ce92a3b4aa2d8c56d 2019年1月14日 閲覧。 参考文献 イヴァン・ビリアルスキ「神の加護のもとで : 選挙君主制と世襲制、中世の神権政治と現代の合理性のはざまで(1)」『仏語仏文学研究』第48号、中央大学仏語仏文学研究会、2016年2月、151-170頁、ISSN 0286-5920、NAID 120006639287。 野村啓介 『ナポレオン四代:二人のフランス皇帝と悲運の後継者たち』中央公論新社 〈中公新書 〉、2019年2月25日。ISBN 978-4-12-102529-6。 関連項目 ウィキメディア・コモンズには、王位請求者 に関連するカテゴリがあります。
旧君主位の継承順位
アフリカ アジア アフガニスタン(英語版) イラク(英語版) イラン/ペルシャ(ペルシア語版) ジョージア(英語版) 中国(清) ネパール(英語版) インド諸邦 アイダー(英語版) ヴァドーダラー(英語版) カッチ(英語版) カプールタラー(英語版) ジャンムー・カシュミール(英語版) ドゥーンガルプル(英語版) トラヴァンコール(英語版) ニザーム(英語版) バラトプル(英語版) ボーパール(英語版) マールワール(英語版) ラームプル(英語版) ラジピプラ(英語版) ヨーロッパ アルバニア(英語版) オーストリア=ハンガリー(英語版) ギリシャ(英語版) フランス(フランス語版) ブルガリア(英語版) ポルトガル(英語版) モンテネグロ(英語版) ユーゴスラヴィア(英語版) ルーマニア(ルーマニア語版) ロシア イタリア諸邦 イタリア王国(イタリア語版) トスカーナ(イタリア語版) モデナ(イタリア語版) パルマ(イタリア語版) 両シチリア(イタリア語版) ドイツ諸邦 アンハルト(英語版) ドイツ帝国(プロイセン) ヴァルデック=ピルモント(英語版) ヴュルテンベルク(英語版) オルデンブルク(英語版) ザクセン(英語版) バーデン(英語版) バイエルン(英語版) ハノーファー(英語版) ヘッセン(英語版) メクレンブルク(英語版) 両アメリカ
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